【山形マット死事件】加害者の現在がヤバすぎる…新庄市立明倫中の児玉有平くん遺族ブチ切れ…

明倫中事件、遺族が時効中断へ提訴 元生徒、賠償金支払わず

新庄市明倫中で1993年1月、1年児玉有平さん=当時(13)=が体育館の用具室で死亡した事件に絡み、関わった元生徒3人が確定した損害賠償命令に応じず、強制執行の手続きも取れないとして、遺族が3人に対し、時効(10年)により請求権の消滅を防ぐ訴訟を起こしたことが8日、関係者への取材で分かった。

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児玉さんの父昭平さん(67)は「何年もかかって続けた裁判の結果が水泡に帰すことは、有平のためにも避けたかった」と話している。

遺族が元生徒7人に損害賠償を求めた民事訴訟は、2005年9月6日に仙台高裁の判決が確定。全員が死亡に関与したと判断し、7人に約5760万円の支払いを命じた。

原告側の代理人弁護士によると、これまで任意の支払いに応じた元生徒はいないという。このため4人には債権の差し押さえなどの措置を取ったが、提訴された3人については勤務先の会社が分からないなどの理由で手続きを進められなかった。元生徒側の代理人を務める予定の弁護士は、山形新聞の取材に対し、3人のうち1人については差し押さえの手続きがされているとした上で、「事件は冤罪(えんざい)であり、3人とも損害賠償に応じる意思はない」と話している。

山形マット死事件(やまがたマットしじけん)とは、1993年(平成5年)に山形県新庄市立明倫中学校で発生した男子中学生の死亡事件。俗に「マット死事件」・「マット事件」「明倫中事件」とも呼ばれ、学校現場におけるいじめの深刻さを明らかにし、少年法改正への気運を醸成した象徴的事件として、今日でも取り沙汰されている。

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1993年(平成5年)1月13日夕方、山形県新庄市立明倫中学校1年生の男子生徒が、同中学校の体育館用具室内で遺体となって発見された。生徒の遺体は巻かれて縦に置かれた体育用マットの中に逆さの状態で入っており、死因は窒息死であった。

山形県警察は傷害および監禁致死の容疑で、死亡した生徒をいじめていた当時14歳の上級生3人を逮捕、当時13歳の同級生4人を補導した。警察の事情聴取ではこれら計7人の生徒は犯行を認めていた。

だが、その後児童相談所に送致された1人を除く6人の生徒は、犯行自供を撤回し、犯行の否認やアリバイの主張をし始めた。これに対して1993年8月23日、山形家庭裁判所は、逮捕された上級生3人に対し、刑事訴訟における無罪に相当する非行なしを理由とする不処分の決定をした。一方、補導された同級生3人に対しては同年9月14日、2人に初等少年院送致、1人に教護院送致の保護処分が決定された。これに対し3人は処分取り消しを求め仙台高等裁判所に特別抗告するが、「アリバイは認められない」として抗告は棄却された。それに対し最高裁判所へ再抗告もしたが、再び棄却された。

そして翌1994年、7人全員に対し、刑事裁判の有罪に相当する保護処分が確定。これに対し少年は事故死を主張して山形地方裁判所に提訴。その後1995年に、死亡した生徒の両親が少年7人と新庄市に対し1億9400万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こす。この際、少年らは山形地裁への提訴を取り下げた。

2002年3月19日、民事訴訟に対し山形地裁は「事件性は無い」として原告側の訴えを退ける。両親は仙台高裁に控訴し、2004年5月28日、仙台高裁は一審判決を取り消し、少年7人に5760万円の支払いを命じる。少年らは上告するが、2005年9月6日に最高裁は上告を棄却、元生徒7人全員が事件に関与したと判断、約5760万円の支払いを命じ不法行為認定が確定した。原告側の代理人弁護士によると、結審から10年を経過した2015年時点で任意の支払いに応じた元生徒はいないという。

損害賠償請求権は2015年9月には10年間の時効にかかることから、その前に時効の中断の手続として元生徒7人のうち4人には債権の差し押さえ等の措置がとられたが、3人については勤務先の会社が分からないなどの理由で手続が進まなかったため損害賠償請求権の時効を中断させるための提訴が行われた

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